好きこそものの上手なれ アキレスと亀 [映画 le cinema]
北野作品。
ベネツィア映画祭招待作品。
たぶん、この作品は、好きこのみがはっきり出る作品なのかもしれない。北野武作品が好き、という人でも、うーん、これは、・・・と思ってしまうかもしれない。実際、、観ていて頭を抱えた部分はある。一方で、北野作品には必ず出てくる「道化」の存在も楽しかった。シェイクスピアの戯曲に似た部分があるように思うんですよ。北野作品って。どんなにノワールな作品でも道化が出て、それがそれで意味をなしている、ってとこがね。
さてさて、作品を観て・・・
かの有名な、北野ブルーは健在である。随所に、心理精神的な背景(情景)とマッチさせている。
しかしながら、「アキレスと亀」。“絵”を描くことが好きな少年・真知寿の半生を描くというこの作品。絵が好きでも、そして、“画家”からうまい、と言われても、結局は、自分自身の“絵”(アート、あるいは、芸術)が、生み出せなかった。純粋ではあったかもしれないけれど。
ピカソに代表される現代絵画。けれど、彼の画風(それも後期)をまねして描いたとしてもそれはただの継続であり、模倣とも受け取られてしまうだろう。それならば、現代芸術は、何をどうやって描けばよいのだろうか。この映画の中には、現代芸術と呼ばれているものに対するアンチテーゼが含まれているように思う。
そして、今の教育状況に対する批判も含まれているように思えてならない。好きなことをやらせて伸ばそうという風潮。それ自体は別にかまわないけれど、社会という場で生活を送らなければならない私たちにとって、何事も「基本」的な行動規範ってやっぱり大事なのではないだろうか。
たとえば、有名人が描いた絵画をオークションにかける。うまいか下手かは別にして、有名人という付加価値がつくことで値が上げられていく。有名人が描かなかったら・・・と考えたら、たぶんそんなに値はあがらないだろう。
今や芸術は産業である。その中に入れない人の方が多い。芸術家になる、ってことは難しいんだ。
今の時代の、“芸術”についていろいろと考えさせられた作品。
「アキレスと亀」
ベネツィア映画祭招待作品。
たぶん、この作品は、好きこのみがはっきり出る作品なのかもしれない。北野武作品が好き、という人でも、うーん、これは、・・・と思ってしまうかもしれない。実際、、観ていて頭を抱えた部分はある。一方で、北野作品には必ず出てくる「道化」の存在も楽しかった。シェイクスピアの戯曲に似た部分があるように思うんですよ。北野作品って。どんなにノワールな作品でも道化が出て、それがそれで意味をなしている、ってとこがね。
さてさて、作品を観て・・・
かの有名な、北野ブルーは健在である。随所に、心理精神的な背景(情景)とマッチさせている。
しかしながら、「アキレスと亀」。“絵”を描くことが好きな少年・真知寿の半生を描くというこの作品。絵が好きでも、そして、“画家”からうまい、と言われても、結局は、自分自身の“絵”(アート、あるいは、芸術)が、生み出せなかった。純粋ではあったかもしれないけれど。
ピカソに代表される現代絵画。けれど、彼の画風(それも後期)をまねして描いたとしてもそれはただの継続であり、模倣とも受け取られてしまうだろう。それならば、現代芸術は、何をどうやって描けばよいのだろうか。この映画の中には、現代芸術と呼ばれているものに対するアンチテーゼが含まれているように思う。
そして、今の教育状況に対する批判も含まれているように思えてならない。好きなことをやらせて伸ばそうという風潮。それ自体は別にかまわないけれど、社会という場で生活を送らなければならない私たちにとって、何事も「基本」的な行動規範ってやっぱり大事なのではないだろうか。
たとえば、有名人が描いた絵画をオークションにかける。うまいか下手かは別にして、有名人という付加価値がつくことで値が上げられていく。有名人が描かなかったら・・・と考えたら、たぶんそんなに値はあがらないだろう。
今や芸術は産業である。その中に入れない人の方が多い。芸術家になる、ってことは難しいんだ。
今の時代の、“芸術”についていろいろと考えさせられた作品。
「アキレスと亀」
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