好きこそものの上手なれ アキレスと亀 [映画 le cinema]
ベネツィア映画祭招待作品。
たぶん、この作品は、好きこのみがはっきり出る作品なのかもしれない。北野武作品が好き、という人でも、うーん、これは、・・・と思ってしまうかもしれない。実際、、観ていて頭を抱えた部分はある。一方で、北野作品には必ず出てくる「道化」の存在も楽しかった。シェイクスピアの戯曲に似た部分があるように思うんですよ。北野作品って。どんなにノワールな作品でも道化が出て、それがそれで意味をなしている、ってとこがね。
さてさて、作品を観て・・・
かの有名な、北野ブルーは健在である。随所に、心理精神的な背景(情景)とマッチさせている。
しかしながら、「アキレスと亀」。“絵”を描くことが好きな少年・真知寿の半生を描くというこの作品。絵が好きでも、そして、“画家”からうまい、と言われても、結局は、自分自身の“絵”(アート、あるいは、芸術)が、生み出せなかった。純粋ではあったかもしれないけれど。
ピカソに代表される現代絵画。けれど、彼の画風(それも後期)をまねして描いたとしてもそれはただの継続であり、模倣とも受け取られてしまうだろう。それならば、現代芸術は、何をどうやって描けばよいのだろうか。この映画の中には、現代芸術と呼ばれているものに対するアンチテーゼが含まれているように思う。
そして、今の教育状況に対する批判も含まれているように思えてならない。好きなことをやらせて伸ばそうという風潮。それ自体は別にかまわないけれど、社会という場で生活を送らなければならない私たちにとって、何事も「基本」的な行動規範ってやっぱり大事なのではないだろうか。
たとえば、有名人が描いた絵画をオークションにかける。うまいか下手かは別にして、有名人という付加価値がつくことで値が上げられていく。有名人が描かなかったら・・・と考えたら、たぶんそんなに値はあがらないだろう。
今や芸術は産業である。その中に入れない人の方が多い。芸術家になる、ってことは難しいんだ。
今の時代の、“芸術”についていろいろと考えさせられた作品。
「アキレスと亀」
「ICHI」 [映画 le cinema]
脚本:浅野妙子
原作:子母澤寛
撮影:橋本桂二
音楽:リサ・ジェラルド、マイケル・エドワーズ
美術:佐々木尚
主題歌:SunMin
製作国:2008年日本映画
上映時間:2時間
配給:ワーナー・ブラザース映画
CAST
綾瀬はるか、大沢たかお、中村獅童、窪塚洋介、柄本明、竹内力、利重剛、佐田真由美、島綾佑、杉本哲太、横山めぐみ、渡辺えり
美しい、ICHI である。
こんなに美しいICHIは観たことがない。当たり前ですね。座頭市と言えば、勝新太郎であり、最近では、北野武なのだから。
はじめはこれを観る予定はなかった。けれど、映画館の前で、綾瀬はるかの勢いあるICHIのポスターを見た瞬間、観てみようかな、と観ることにした。
さてさて、
このICHIは、これまでの座頭市を期待すると少し消化不良かもしれない。けれど、全く違った視点から見れば、メッセージ性がある作品だと思う。
万鬼の境遇とICHIの境遇である。万鬼は、ICHIに対し同じにおいがする、と言う。剣術使いが長けていることと同時に、世間の陰で生きていかなければならない境遇ということだろう。陰で生きなければならなかった時代、彼らが選んだ生業は、やくざ であり、瞽女として生活することだった。
ここに、今までの“座頭市”のイメージからの脱却である。それは、主役が、これまでの男性から女性に移ったこともそうであるが、強者・弱者の狭間にある、社会の暗部とされがちなところを表現した、実験的な作品なのではないだろうか。
この作品は、重い作品である。ノワールである。が、シェイクスピアしかり、道化が登場する。それが、藤平十馬である。彼も過去のある男である。訳があって刀を抜くことができない。が、観ていると、少し弱すぎる気がしてならなかった。弱くて弱くて、最後に、という常道の描き方に少し物足りなさを感じてしまった。
陰と陽、特に、陰で生きなければならなかった存在を描いたこの作品は、ICHI、座頭市、という範疇を超えて、実生活にも通ずるメッセージを与えているのではないか。だからこそ、今、座頭市 であり、ICHI なのだと思う。
ICHIの殺陣もギミック化されていて、もう少し生き生きとした殺陣がよかったかな。監督が、ピンポンの監督だからなぁ。思い出しますね。あの臨場感。でも、今となっては当たり前のような撮り方になってしまっている気がします。
そういえば、ここ半年?、映画を観に行くと、ほとんど必ずと言っていいほど、綾瀬はるかが出演している作品に出会います。今週15日には、主演作『ハッピーフライト』が上映されます。CAをテーマにした作品は、TVでは、上戸彩主演で「アテンションプリーズ」。これは、JALが提供したけれど、今回は、ANA。これも楽しみ。女優・綾瀬はるか これからも楽しみです。
サントラもおすすめ。
- アーティスト: SunMin,SunMin,小林夏海,デヴィッド・フォスター,曽利文彦,リンダ・D.トンプソン,柿崎洋一郎,庄野賢一
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2008/10/15
- メディア: CD
シンプルとコンプレックス 宮崎駿と押井守 [映画 le cinema]
「スカイ・クロラ」は、公開から2週目で観た。観客は、そこそこ入っていたけれど、すいていたなぁ、という印象のほうが強い。前作の「イノセンス」のほうが入っていた記憶があるけれど・・・。
そして、9月中旬、ようやく「崖の上のポニョ」を観た。観る機会はいくつでもあったんです。でも、実際、夏休み中は混んでいるだろう、という予測があって(実際、混んでいたし)、8月中は観に行くことはやめていた。そして、9月に入って、ばたばたとしていて、「20世紀少年」を公開2日目で観てしまってから、ついにここまで来てしまった。
すでに、夏休み映画は終わりつつあり、秋映画の時期ですね。今回もポニョにするか、「おくりびと」にするか、ハンコックも、というように、、、。で、結局、上映開始時間が間近なポニョにすることにしました。
「崖の上のポニョ」。公開当初の論調は、賛否両論。最近では、ヴェネツィアでの喝采から評価が上向きになったというか、そんなに否のほうは言われなくなりました。なんて日本って、単純な社会なんだろうと思いますが、それはそれとして、この物語も、単純といってしまえば、それまでです。人魚姫にヒントを得た物語。その現代版でありつつ、少し、海の環境についても提起しています。その辺りが、宮崎駿らしいというのでしょうか。失われていく自然(モノ)について、何か提起しようとする。それが宮崎スタイルなのかな。
さて、翻って、「スカイ・クロラ」である。
記憶の彼方に行きつつあるけれど、非常に淡々としていているのが第一印象。何かが足りないような気がして、、、夏の暑い中に観た映画なのに、大人になれない子どもたち、キルドレ。それにつきてしまう。
そういえば、押井の代表作ともなった、「攻殻機動隊」。これは、電脳、ネットが主題ではありますが、擬体化し、子どもが大人に成長するには、換装しなければならない。換装すれば、違う擬体に乗り換えられる。キルドレと通じるものがあるような。司令官も「クサナギ」だし。ナインストーリーズ(J.D.サリンジャー)だし(TV版ですけれど)
それは、そうと、何か物足りなさというか、淡々と進むストーリーが、少々きつく感じました。原作を読んだ感じも、ナインストーリーズの断片でうまくストーリーが切られていましたが、少し物足りなさを感じました。それが、「スカイ・クロラ」なんでしょうか。
元気がよくて、シンプルな、「崖の上のポニョ」と淡々としたストーリーテリングに徹する、ある意味、叙情詩的な、「スカイ・クロラ」。
今夏の対照的なアニメ映画作品。
どちらの映画がよかったか、うーん、それは難しい。それぞれに個性が違うから。
崖の上のポニョ 関連
THE ART OF Ponyo on the Cliff―崖の上のポニョ (ジブリTHE ARTシリーズ)
- 作者:
- 出版社/メーカー: スタジオジブリ
- 発売日: 2008/08
- メディア: ムック
ピアノ/ギター/コーラス [崖の上のポニョ]より 海のおかあさん/崖の上のポニョ (ピアノ/ギター/コーラス・ピース)
- 作者:
- 出版社/メーカー: ケイ・エム・ピー
- 発売日: 2008/07/29
- メディア: 楽譜
別冊カドカワ 総力特集 崖の上のポニョ featuring スタジオジブリ (カドカワムック 279)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 角川ザテレビジョン(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2008/09/10
- メディア: ムック
スカイ・クロラ 関連
押井守ワークス+スカイ・クロラ The Sky Crawlers (別冊宝島 1546 カルチャー&スポーツ)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2008/07/19
- メディア: 単行本
スカイ・クロラ-The Sky Crawlers-絵コンテ―ANIMESTYLE ARCHIVE
- 作者: 押井 守
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2008/08/22
- メディア: 単行本
押井守 関連
宮崎駿 関連
The マジックアワー [映画 le cinema]
というわけで、観てきました、「ザ・マジックアワー」。映画制作用語で、夕暮れ時の空が一番きれいに見える時のことをいうそうですが。。。
しかしです。三谷幸喜の映画を観るたびに思うのですが。。。
このマジックアワーは、みんなの家や有頂天ホテルなど過去の作品しかり、コメディとして紹介されていますが、観ていて、そう思えないのです。
むしろ、三谷幸喜の作品を観ていると考えさせられることが多い。
有頂天ホテルなんかは、12月31日のホテルにいる様々な立場の人の人間模様を描いた作品を実にコメディタッチで描いているわけですが、私たちが、コメディ=笑い として観ることができるのはわずかです。実は、そこに登場する人それぞれがそれぞれの悩みを抱え、それらをどうにか取り去って、−まさしく煩悩を取り去って− 1月1日の午前0時を迎えようとしている様子を描いた作品です。
私たち(というか、私)が夢見る コメディ とは、笑える ことです。
しかし、実は、コメディ=笑い ではないことが、三谷幸喜作品を観ていると理解できます。それを最も端的に表しているのが、「笑の大学」です。はっきり言って、私たちが思い描く笑いはありません。戦時中の取調室、コメディアンと取調官のやりとりです。
それらを観て、今回の「The マジックアワー」を観ると、これもまた、寂れた田舎の町のやくざ(というか、ギャングといったほうがいい?)とその子分と売れない役者の物語です。劇中には、確かに笑いがあります。けれど、笑いより印象的に残るのは、むしろ、地方の町の苦悩を描いている。抜け出したくても、抜け出せない、人、町。どんな人でも、人は、見えない何かに縛られて生きている。
マジック・アワー を見て、そんな風に感じました。
三谷幸喜の作品における、コメディは、コメディの本質を描いているのだと思います。
つまり、私たち(少なくとも、私)が思い描く、コメディは笑いのあるものだ、という前提条件をうまく使い、社会派のドラマとして仕上げていく、それが、三谷幸喜の作品なのだと思います。
そういえば、この手法は、チャップリンの作品も同じですね。
この作品、作品自体もさることながら、出てくる ゲスト出演者にも注目ですね!!
「ザ・マジックアワー」 オフィシャルブック (ぴあMOOK)
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- 出版社/メーカー: ぴあ
- 発売日: 2008/05/23
- メディア: ムック
BRUTUS (ブルータス) 2008年 6/15号 [雑誌]
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- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2008/06/02
- メディア: 雑誌
スウィーニー・トッド 舞台(ミュージカル)と映画のはざまで [映画 le cinema]
1年前、ミュージカル版スウィニー・トッドを観に行った。。
トッド役は、市村正親。
ジョアンナは、ソニン。
ミートパイ屋の女主人は、大竹しのぶ。
演出は、宮本亜門。
そして、1年後の今、映画版スウィニー・トッドを観た。まさか、映画版で観られるとは思ってもみなかかった。
トッド役は、ジョニー・デップ。
監督は、ティム・バートン。
ミュージカルのスウィニー・トッドを観た人なら、あの場面はどのようにティム・バートンがどのように”料理”したのだろう、なんて想像するかもしれない。だって、脚本とか概要をみれば、どう考えても、こわーい話です。復讐に燃えるトッド。その理髪店でひげを剃ると、・・・帰ってこない。下のミートパイ屋は、大繁盛。なんだか怪しい煙が煙突から出ている。ミュージカルというのは、そんなこわーい話も、柔らかく、というか、とげのないように、楽しめます。確かに、1年前のスウィニー・トッドは、想像していたよりも、楽しめたし、ソニンの芝居力には目を見張りました。
それが映像化=映画となると、やはり話は違ってきます。だいたい、ティム・バートンです。ナイトメア・ビフォー・クリスマスを始めとしたクレイアニメ2作が頭をよぎりました。あの感じか?少なくともチョコレート工場なんかとは違うだろう。
これは映画は映画でも、ミュージカル映画です。ミュージカルが土台です。それも、何年も何年もミュージカルで演じられてきたもので、さらに人気のあるもの。しかも、日本で昨年宮本亜門が少しコメディを入れながら、巧妙にこわーい物語をミュージカル化しました。舞台の上は、小道具大道具がデフォルメされていて、それもよかったのですが、映画になると、それもリアルで、大画面。
ナイトメア等アニメ2作の雰囲気を実写化したような感覚になります。表現していて、本当にこわーい映画になってます。怖すぎる、わけではないのですが、リアル、なんですね。そこです。理髪店でトッドがする様は、やっぱり怖くできています。復讐に燃える男、トッド。好演だとは思いますが。。。
改めて、おなじ作品でも、ミュージカルはミュージカルのよさがあり、映画には映画のよさ、恐ろしさ、があるのだと思わされました。それは、単に今回の映画のことだけでなく、最近多いドキュメンタリー映画についても言えます。大画面で繰り広げられる、自然や人の様。非常に目に訴えかけてきます。それが映画のよさでもあり、怖さ、なのだろうと思います。
反面、ミュージカルなどの舞台は、限られた空間で限られた手法で表現しなければなりません。その限定性こそ、舞台の醍醐味であり、限界なのだと思います。
今回、同じ「スウィニー・トッド」を映画版とミュージカル版を観ることができて、それを実感することができました。
この映画は、楽しむ=エンターテイメントとしてはもちろんのこと、やはり、原点=ミュージカルを知っておくと、もっと、「楽しめる」ものなのかなぁと思います。単に、この映画だけを観てしまうと、恐ろしさ、だけが残ってしまって、あとは何もないもの、になってしまう可能性も否定できません。
もう一度考えてみます。
この物語、ミュージカルですが、これまでも言ってきたとおり、怖い、です。けれど、この物語が実際の出来事が発端としてある(らしい)ことが、それをさらに怖ろしいものにさせてくれます。
なぜ、この物語が受け継がれてきたのでしょう。映画パンフレットなどにも書かれていますが、階級社会への反抗、というのが一つだと思います。物語の人物設定が、一般市民である理髪師とその妻(”美しい”妻)、それに対するのが、権威の象徴であり、階級社会の象徴である、判事の、専制的な理髪師に対する行為(罪)は、すぐに、階級社会、権威社会への反抗、反動、であることは明らかです。
非常に怖く、怖ろしい復讐の物語を今、この時代に観ることの意味とは何でしょう?
なぜ、昨年のミュージカルと今回の映画版を観ることになったのか?
そこにあるのは、ただ単に、怖く怖ろしい復讐劇見たさ、だけではないように思えるのです。単なる復讐劇であれば、いくらでもTVドラマにある。スウィニー・トッドは、それらとは違った魅力があるからでしょう。だからこそ、ミュージカルが長期に渡って演じられ、ついには、映画化されたのだと思います。その魅力とは、社会の矛盾、恐怖という存在に対する、人間の底知れぬ知りたい、という欲望なのかもしれません。
ただ、残念なことに、昨年ミュージカルを観てしまった方には、このティム・バートン版スウィニー・トッドは、怖ろしさを前面に出し歌を必死に歌う、ジョニー・デップがかわいそうにみえてくるかもしれません。
ミュージカル映画の難しさを痛感させる、そんな今回の映画版スウィニー・トッドでした。
エヴァンゲリヲン について 1 [映画 le cinema]
再構築”されたエヴァンゲリヲンが公開されてから,1か月ほどが過ぎた。
10数年前のTVサイズ,TVの限界から解き放たれた,今回のエヴァンゲリヲン。
もう一度,TV版のヤシマ作戦まで観直してみると,今回のエヴァンゲリヲンの映像,音,すべてのクオリティの違いに気づく。
特に,映像は,これまで同様に3Dを,こてこての3Dらしくみせずに,自然な3Dの映像であったり,前の映画版 Death/Rebirthのような貼り合わせ的な方法ではなく,本当に,”再構築”された,エヴァンゲリヨンだった。
以前のほうがよい?今のほうがよい?と決めつけてしまうのは早急である。なにしろ,今回の公開は,まだまだ「序」であるから。これからが楽しみである。なにより,庵野秀明の「今の中高生に観せたい」という言葉通り,今回の「序」はその期待をそぐものではなかったと思う。
前のヴァージョンとは違う,エヴァンゲリオンとは違う,それがエヴァンゲリヲン。
新世紀,でも何でもないのである。
むしろ,今回のエヴァンゲリヲンを制作した彼らが意図しているのは,”エヴァンゲリオン”以来,あまり発展していない日本アニメの現状への問い,である。
彼らの問いとしての”エヴァンゲリヲン”は,これからどんな展開を見せるのか。
すでに,カヨルが出てきているのも楽しみ,である。
Shiro SAGISU Music from“EVANGELION:1.0 YOU ARE(NOT)ALONE”
- アーティスト: 鷺巣詩郎, サントラ
- 出版社/メーカー: キング
- 発売日: 2007/09/26
- メディア: CD
エヴァの音楽は,単なるBGMではない。その後のドラマや映像表現に大きな影響を与えた。エヴァンゲリヲンでは,鷺巣氏が以前のものにさらに深みのある映画版らしい"BGM"を制作した。
怪談 [映画 le cinema]
やっと一時期のいやなほどの暑さに一段落ついてきました。それでも暑いけれど・・・
今年はあまり観ていないのです。最近(今年の、といったほうが早い?)の映画って、なかなか食指が動かなくて・・・というのが本音のところですが。
そんな流れのなかで、夏休み映画も7月の第一弾も行かずじまいで、夏休み映画も第2弾。たまには、オーシャンズもいいかな、なんて思ったけれど、TV観てると流れがわかってしまって、、、それじゃあ、「レミーのおいしいレストラン」もいいなぁと思っていたところ、対抗馬が、、、。それが、今回行った、「怪談」です。対抗馬って言ったらおかしいけれど、食指が動いた、と言ったほうがいいかもしれない。ディズニーアニメ、フランス・パリを題材にしているし、いろいろ見ているとハズレはないだろうと思っていたし、感覚的にこれは幸福な気持ちになるんだろうなぁ、なんて思っています。そして、「怪談」。普段は、この”ジャンル”は、ほとんど観に行かない。一通りは観ている気がしますが、どうも映画館で観る気があまりしなかったのです。でも、今回の「怪談」は、行きたくなりました。なぜなら・・・名作であるから、というのと、触覚的な勘 です。
名作、そして、何度も映像化されている作品を映像化するというのは非常に難しい。よく知られている作品というのは、それだけ期待されているもの、ともいえる。いろいろな人に読みこまれた作品を映像化する、それは難儀なこと。あえて、それをするというのは、ある種の挑戦でもある。
その挑戦を買って出たのが、「リング」以来のジャパニーズホラーを作り上げた、中田秀夫監督である。「リング」などは、最終的にバラエティ化されてしまったが、欧米、特にハリウッド的ホラーとジャパニーズホラーは、全く違う視点・観点にあることを問いただしたのが、中田監督であった、といってもいい。(というのが、よく言われていることですね)
ということで、この「怪談」ですが、もとは三遊亭円朝の落語のはなし。まずはじめに、いきなり、怪談話といえば、この人、講談師 一龍斎貞水が出てきて、この話の発端を話し始めます。 モノクロの画面に、怪談の講談、そして、映画館は暗い、とくれば、もうすでに、「怪談」モードです。
話の発端の部分が終わると、その後、が始まる。黒木瞳の演じる豊志賀と尾上菊之助演じる新吉との恋、愛の物語が始まる。お互い敵同士とは知らずに・・・。
豊志賀の愛という霊が、新吉の人生を悲劇へと変えていく。これは、いわゆる”怪談”という「怖い話」なのだろうか。いや、これは、「怖い話」ではない。確かに、中田監督らのお得意の映像、音の効果は、ホラーの要素を取り込んでいる。しかし、ストーリーを考えると、何かホラー(ハリウッドでも日本でも)という感じがしない。むしろ、ラブストーリーを観ている感覚である。究極の「愛する」という形(「愛」という名詞ではない)なのかもしれない、とそんな思いもしてしまう。
彼らの父の代からの怨念が、豊志賀を、そして、新吉を、悲劇に誘う。そう、これは、トラジェディー・悲劇 なのだ。シェイクスピアの悲劇にむしろ近い、そんな気がしました。おどろおどろしくなくて、ハリウッドホラーのような効果による怖さもない。というよりも、怖さ、というのをあまり感じなったというのが本音でしょう。
尾上菊之助の控えめでありつつ、一度暴れ出したらとまらない(一心不乱といったほうがよい?)、少しナイーブ(神経質)で、荒削りな青年役の演技もなかなかいい。何よりカツラが妙に似合っている(当たり前か)。豊志賀の黒木瞳の演技も、新吉への愛が強くなるにつれてぴりぴりしていく感じと、死後の新吉を追いつめていく演技もなかなかである。
夏の映画。夏の定番・"怪談”。けれど、この「怪談」は、観終わった後の何かしらの恐怖感を思い描かせるものではなく、むしろ、「愛する」ことを思い、考えさせる映画、と言っていいのかも知れない。因果応報の物語ではあるけれど。
「怪談」
監督:中田秀夫
出演:尾上菊之助 、黒木瞳 、井上真央 、麻生久美子 、木村多江 、瀬戸朝香 ほか
舞妓Haaaan!!! [映画 le cinema]
久しぶりの映画です。
5月に「バベル」を観て、3カ所に起こる出来事の時間軸を考えながら観なければならないという久しぶりに脳みそフル回転で観た映画以来です。
今回は、クドカンの脚本の「舞妓Haaaan!!!!」。阿部サダヨが主演。
もう、楽しむしかない。そんな映画。楽しむことに集中させてくれた映画ですね。京都の敷居の高くて「一見さん」はなかなか知らない、舞妓、芸妓あそび、の世界を、クドカンならでは、そして、阿部サダヨならではの絶妙な芝居を見せてくれつつ、少し内面的なところも描くという、まあ、話の筋は、そのままストーリーに沿って行けば普通に追っていけるというコメディ映画。植木等の遺作でもありますが、これは彼の遺作として、かなりふさわしいのではなかったのではないかと思います。
ストーリーに沿って行けば、自然に頭に入ってくるという映画っていいですよね。いろいろと映画・脚本の作り方というのはあるけれど、コメディって、一番難しいと思うのです。というのも、すべての人に対して、すっと頭の入っていかなければならない、観客の頭を使わせてはいけないものだと思うからです。
今回は、京都の花柳界の話ですが、花柳界のそのものの話だったら、たぶん、退屈でしょう。特に、今や舞妓、芸妓の人数も減ってきている時代なのに、そんな映画は作れない。ここにクドカンの嗅覚のすごさ、鋭さがあるのではないかと思いました。逆転の発想、というべきか、最近の「オタク」の一般化の要素を入れることで誰でもすんなりと観ることができる映画に仕上がった。それは大きいと思います。
また、話の前半にあるミュージカル風の演出も好きでした。確か、以前クドカンが脚本演出?した「ドラッグストア・ガール」もそんな場面があったような、、、
あとは、意外な俳優陣です。びっくりするほどの俳優さんが出ている。ミュージカル
風のところは真矢みきがしっかりと固めているし、先ほどの植木等もいい味だしていているし。
でも、ただのコメディじゃぁ、ないことろがあるのが、クドカンの脚本ですよ。兄弟かと思っていたら、実は、、とか、新人舞妓だと思っていたら、実は、、、だとか、
そんなこんなで、久しぶりに“楽しめる”映画を観ました。
しゃべりたおし!!!どす。 舞妓Haaaan!!! オフィシャル裏本
- 作者:
- 出版社/メーカー: ぴあ
- 発売日: 2007/06/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
舞妓Haaaan!!!オフィシャル・ブック一見さん、イラッシャイ!!!―オフィシャルブック
- 作者:
- 出版社/メーカー: 日本テレビ放送網
- 発売日: 2007/06
- メディア: 単行本
時をかける少女 [映画 le cinema]
■メインスタッフ
製作会社:角川書店
制作会社:マッドハウス
監督:細田守
原作:筒井康隆(角川文庫刊)
脚本:奥寺佐渡子
キャラクターデザイン:貞本義行
美術監督:山本二三
音楽:吉田潔
配給:角川ヘラルド映画
ずーっと観たかった映画の一つ。いつ行こうか,いつ行こうか,なんて思っていたら,こんな時期になってしまった。今年の夏は,「ブレイブストーリー」に始まり,「ゲド戦記」,「MI:III」を観た。アニメーションが多い。実写の映画ってあとでも観てもいいんだ,DVDで観れるし,とか思っていると,かなり気になるものしか最近は行かなくなっている。「MI:III」は,まあ,トム・クルーズということでって言い訳にも何にもなっていないが,トム・クルーズ出演の映画はだいたい観ている,なぜか?話題作(いろんな意味で)になるっているのもあるし,なんかひかれてしまうところもあるので・・・
今回は,夏映画の総括,というわけではないけれど,「時をかける少女」。何度も映像化されていますが,実際,きっちりと観たことはない。その世代でもないわけではないけれど,
TVで大林版は観たことあるかな,というくらいで・・・だから,今回は,本当は予習が必要だったのです。しませんでしたが。
これまで,「ブレイブストーリー」,「ゲド戦記」について書いてきましたが,今回の「時をかける少女」について書くとすると,すっきりしていて,気持ちいい,そして,「素直に気持ちが入り込める」映画でした。ブレイブストーリーの時に,「素直に観よう」なんてことを書きましたが,今回もその通りで,「素直に観る」ことができる,そんな映画でした。例えば,「MI」のように,次は何が来るんだ,起きるんだ,なんてことは考えることはいりません。むしろ,映画の文脈に自分が乗っていくだけでいい。それがすんなりと行くか行かないかは,映画作者の腕の見せ所だと思いますが,今回の「時をかける少女」はそれがうまくいっていたように思います。
ただ,一つ。最初のタイムリープの時にある,CGは,,,ちょっと,,,,気になりました。異空間を遡るということの表現にはいいやり方だとは思いますが,,,
原作「時をかける少女」は,ジャンルで言えば,SF小説で,ジュブナイル小説です。昭和のまっただ中に出た小説。読んだ記憶はあるものの記憶の彼方にあった。けれど,今回のアニメ版「時をかける少女」は,小説やこれまでの映像化の主人公の一人,芳山和子は,「魔女おばさん」として登場する。今回の主人公は,紺野真琴。東京下町の女子高生。どうしても尾道の印象が強かったので,設定が東京,というのをみたときは,逆にどこだ,どこどロケハンしたんだ,なんて思ってしまった。でも,いい意味で,尾道を脱却できたんだと思う。これが,今の「時をかける少女」。それを感じさせるには,尾道の階段で転げ落ちるのでななく,東京である必要があったんだと。
主人公・真琴は,男子とキャッチボールばかり?している元気・活発な女子高生。そんなところからも,監督・細田守のこれまでの「脱・時をかける少女」が伝わってきます。21世紀の,アニメ版の,ということだけではなく,映像化が多い分,何かしら「縛り」というものがあった,「時をかける少女」をここまで崩しながらも話の骨格は失われない作り方に敬服!しました。
長回しのショット,引きのショットなんかは,観客を映画の世界に取り込んでいきます。アニメ映画だから,という線引き・プリズムは必要ありません。縛り,プリズムをうまく壊した映画,それが,今回の「時をかける少女」であったように思いました。
公式ページブログ : 時をかける少女
映画を観た後は,これを!
やはり,原作を!!!
ゲド戦記 を考える 2 [映画 le cinema]
前回,うだうだと長くゲド戦記について語ってしまいましたが,いろいろなところで物語の,というよりも脚本の稚拙さはみられるものの,これまでのジブリ作品にはない,ある種のおもしろさがありました。
ある種,つまりそれは,考えさせる,ということ。ゲド戦記という映画を自分の中で再構築させていく。再構築させ,登場人物たちを対比させ,観客自身をも取り込んでいくこと。
面白くない,ジブリらしくない,とは言われているけれど,これが,宮崎吾郎の,あれだけ長く,そして,思想に満ちた原作・ゲド戦記との対峙した結果だとすれば,成功だと思います。
ということで,原作も読んでみるべし。